ヰンダルジェンス

はやく主人公になりたい。(日々を可能なかぎり文学的に書き残す、私なりの彼との全記録)

痛み分け(後)

痛くて苦しい一夜が明けました。泣きはらし吐き散らかしボロボロになった痣だらけの私を、ご主人はひたすら撫でて甘やかしてくださいます。出会えてよかった、出会えてよかった。ご主人はそう繰り返しました。同時に、私たちはとても、とても困っていました。

ああ自分たちが住んでいたところは地獄だったのだと、ようやく思い知ったのです。

 

 

ご主人の今までの交際について、私はかなり根掘り葉掘り伺いましたので大体のことを知っています。

「自分がこんなに変態だなんて思わなかった」とご主人は仰います。おそらく彼の言っていることは正しく、彼自身そのおかしさを今まで自覚したことはなかったのでしょう。まさか自分のことを大好きな小さな体の女を殴って興奮するなんて、彼は思いもよらずにいきてきたのだと思います。

せいぜい首を絞めるくらい。せいぜい首輪をつけたいと望むくらい。普通の範囲を出ない彼のサディズムがこんなに奥底で蜷局を巻いていたとはなんとも悲しい話です。

 

サディズムが引き起こす暴力は、起因がないためある意味理由のある暴力よりもはるかに厄介です。ただしたいからそうする、興奮するからそうする、それだけであるからこそ歯止めが効きません。

ただその行為が成立するのは、私がそれを望むからこそ。マゾヒズムと、母性と、愛情と、苦しみ、自己否定と自己肯定が入り混じった器にだけ注げる愛情なのです。

 

彼は言いました。「自分たちの愛し方を多様性の一つとして認知してほしい」と。私はそれを笑いました、絶対に無理だと。

彼のその言葉は、私にはマジョリティとして暮らしてきた人間の驕りにすら感じました。ご主人はずっと多数の側、それもマジョリティを率いる群れのアルファのような存在でした。特にある程度成長してからは、彼は誰に否定されることもなく暮らしてきたのでしょう。それは本質的には良いことで、彼の実直さや美しい不遜さはそこから生まれたものといって間違いありません。

ただ、ずっと否定されて育った私にとって、彼のその認知してほしいという願いは、とても傲慢でとても我儘に感じました。

 

彼が所用で出かけたあとで、幾日か経った日の仕事場で、ぼんやりとキッチンに立ち料理をしていたその時、腕の痣が目に入ると私は確かに幸せでした。いいじゃない、二人で永遠に秘密を共有すれば。それで。完結した世界にいればいい。――私の中の、彼の犬としてのアリスはそう思っていました。

同時にこうも思ったのです。この痣を見たら、私の両親や、私を愛してくれる友人たちはどう思うだろうかと。きっと彼と私を引き離そうとするんじゃないかと。

友人たちが私を説得する様がありありと浮かびました。

「貴女を本当に愛していたら殴ったりなんてしない」「違うの」

「貴女は洗脳されてる、DVを受けてるんだよ早く逃げて」「違うの」

「私から警察に」「違うの、やめて」

どれだけ私が、それが私たちの愛し合い方なのだと叫んでも、人々の好意と優しさはそれを否定する。決して祝福されない呪われた癖。誰にも理解されない。隠し続けなくてはいけない。

 

――それでいいと、果たして私は本当に言えるのでしょうか。

ただの主人とただの犬であれば、その関係を秘匿し続け、二人のものとし続ければいいのかもしれない。でも私たちは、あくまでも公然で恋人としてパートナーとして暮らしていこうとしています。

私たちが私たちを満たすため、ただ純然と愛し合っていると、世界の誰一人も知らないというのはなんと孤独なことなのでしょう。

 

たとえ孤独だったところで、おそらく私たちが加虐と被虐を絶つことはできません。これからどんな選択をしていけばいいのか、地獄を覗く人界の諸氏に、どうしたら私たちの幸せをそっとしておいてもらえるでしょうか。

 

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ただ、一つだけ言えるのは、その晩私はとても幸せであったということです。今でも思い出すたび仙骨が震え、怯え、体がすくんで熱くなり、ご主人の体に触れるだけで指先がとろけてしまいそうになります。美しくなんてない、実りのない、ただの加虐とただの被虐。それが私たちを結びつけるのであれば、私だけは彼の悲しい癖の、私の可哀想な体の味方でいてあげないといけません。

 

私はあなたと出会えてよかった。心の底からそう思いますし、それを誰にも隠さず恥じず、生きていければ良いと。そう願ってやみません。