ヰンダルジェンス

はやく主人公になりたい。(日々を可能なかぎり文学的に書き残す、私なりの彼との全記録)

色覚異常の世界より

基本的に私の見ている世界は情報という情報で溢れていて、それらの情報が異常な結びつきを起こしながら脳の中で常に漂っています。とりわけ色に関しては私は強烈に敏感です。発達障害の人の「色覚過敏」とはまた異なって、私の頭の中では情報と色とが多くの場合結びついています。その情報と色の結びつきにはほとんど接点がないので、記憶をたどる足がかりにはならないのが難点です。

 

今日は私とKの「色」の話をしたいと思います。

 

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今生きている私は、かつて「私」の一部だった四つの人格が統合された果ての姿です。意味不明かもしれませんが、私には確かにそういう自覚がありますし、私はもっともっと若かった頃、その四つの人格を場面に分けて使い分け、記憶すら分断して暮らしていました。

ひとりめの人格は、節制と勤勉。おそらく今私が社会的に暮らしていく上で見せている側面にもっとも近かったとおもいます。極めて男性的で、決断力に富み、合理主義、リーダーシップとカリスマ性を常に褒められていました。

ふたりめは芸術と愛情。彼女は私よりも圧倒的に精神年齢が高く、おっとりと落ち着いていて、それでも私たちの誰より歌がうまかった。楽譜の読み方は私と違って移動ド式、彼女が口ずさむ音とドレミは私にとってはずれて聞こえて、いつも気持ちが悪かったのを覚えています。

さんにんめは支配と暴力。私はずっと彼が怖かった。私の悪い記憶全てを閉じ込めた人格で、時折どうしようもなく攻撃的になって暴れたり、誰かに恐ろしく楯突いたりすることがあった一方、以上に頭が良く人を精神的に追い詰めようとする。必死で彼と距離を置こうとしていたような気がします。

 

そうしてよにんめが、私。気弱で、何もできず、臆病・才能もなければ自信もなく、いつも何かに怯えていて、人前に出ると口ごもってしまうようなのが本来の私でした。長い時間をかけ、分断されていたこの四人が統合された結果が私であるのは、お医者様も織り込み済みです。その証拠に私の脳は人の四倍血流が発達しています(実際、なんの恩恵も得られていませんが)。

私がかつて「私」だったころ、世界に色が満ちている感覚はもっと色濃く美しかった。その色覚を頼りに私は暮らしていました。知性で人で判断できるほど頭が良くなかったので、その声や、本人から香る匂いのようなもので私は人を判断していました。私の世界は、いい香りと美しい色で溢れていました。ピアノを聞けば音の粒が空気中に舞い上がるのが見えました。人のしゃべる声や絵画、集中して見つめるものものに香り立つバニラやアンバーやムスクを感じました。とりわけ人の声は美しかった。声のトーンによって少しだけ色には斑ができ、グラデーションのように私の頭に浮かんでいく。その斑のでき方にはそれぞれ個性があり、まるで怒っているみたいだったり、笑っているみたいだったり、人を飲み込み沈んでいくみたいだったり。――今はもうこの感覚は希薄になりました。かろうじて、集中して聞いたり興味を持った人の声の色を遠くに感じられる程度です。

私のこの四つの人格を解離性同一性障害というのか、解離性遁走を伴うイマジナリーフレンドの自立暴走というのか、一定レベルを通り過ぎた虚言癖が記憶にまで作用しているというのか、その時期真っただ中に治療を受けていなかった私には結局わかりませんが、いずれにせよ、今の私はそれら四つの要素を兼ね備えた人間であることは間違いありません。

 

先日Kが公開していた記事で、彼は「その時彼女は決まって感情を遮断していて、他人より発達した脳みそだけで話をします。能面のような顔になるのです。」と私を評価しています。

なんと申しますか、これは一切合切正しいのです。脳だけを動かしている時喋ったことの記憶が私にはあまりありません。例えるならば、私の中にある、かつてあったはずの他三つの人格のいずれかが強く作用して、私は奥へと引っ込んで様子を見ているような気持ち。

――つまるところ、ご主人の”犬”たる私はあくまでも純然たる「私」ということなのですが、そんなことは置いておいて。

 

こほん、閑話休題

 

私の色覚に対する異常(あえて"共感覚"とは申し上げないことにいたします)はあくまでも限定的な能力となっていますが、やはり深い仲になった人は色とともに深い印象を私に残します。

例えば私が広義で愛してきた人たちは、こんな感じ。

Thirsty Blue (渇望の青)

Greedy Green (貪欲の緑)

Intelligent White (聡明な白)

Strongwill Gray (意志の強い灰色)

Angry Pink (怒りっぽい桃色)

彼らの声を聞くと、私はその声と色の斑付きや波打ちからこんな印象を受けます。面白いことに、この形容詞たちはその人たちの性格とは全く関係なく、あくまでも色の印象から頭に浮かぶものです。だから本人にそれを伝えると、時々納得いかないような顔をされます。

もっとも美しいな、と思ったのはThirsty Blue、渇望の青。ざらついたテクスチャーと触れると熱いような色。熱し過ぎた炭が白色になるように、その人の青は時折白く見えました。

 

殊に、何かに感覚を集中させている時に耳元でその人の声が聞こえると、目の前がぱっとその人の色に染まるような感覚を覚えます。例えば私がご主人の腕に抱かれながら気を遣る時、耳元で彼の声がすると私の頭にはご主人の色が鮮明に広がります。色覚異常の世界とはなかなか面白そうだと思っていただければ幸いです。

 

人に興味を持たず暮らしてきていた最中でしたから、私はご主人に対して久々に色を感じました。彼の色を明確に感じ取ったのは、おそらく彼と初めてセックスした日だと思います。昼下がり、台所で煙草を吸っていた彼の前に私はたち、ふわふわとした彼の髪に片手を差し込みました。私たちはその時はまだ、お互いを持て余していて探り合っていたのです。相手がベッドでどんな振る舞いをするのか想像もつかなかった。恐る恐る触れる私を引き寄せて彼が笑った時、私は強い色を感じたのです。

名前をつけるならそう、インダルジェント・レッド、耽溺の赤。

ブログの名前はもちろんこれからいただいたものです。様々な人に形容詞と色をくっつけたタグを貼ってきましたが、溺れるほどの深い色を感じたのは彼が初めてでした。

残念ながら彼の赤は深紅やルビーのような鮮やかな赤とは程遠く、和名でいうなら銀朱や今様色のようなくすんだ紅色に、まだらに退紅(あらぞめ)が見えます。それでも表現しきれない、羽衣を何重にも何重にも重ねた様な深い深い色。一度指先を伸ばし腕を浸せば引き摺り込まれてしまう様な色。

赤というのは常々信号じみた、怒りっぽい色なのですが、彼の赤色は特徴的なほど穏やかです。それが荒々しく波打つ時、私はいつも恍惚とします。

 

 

……そういえば、私は私の声の色がわかりません。完全に無色透明で何も感じません。ビデオや録音で聴いてもそうです。だから、私とご主人のささやきあう声がどの様に交じり合うのかわからないのです。それは少し残念な気がします。私の透明に、彼の赤が浸されると良いなあ、と。そんなことを思うばかりです。