ヰンダルジェンス

はやく主人公になりたい。(日々を可能なかぎり文学的に書き残す、私なりの彼との全記録)

盲蜥蜴と小夜啼鳥の寓話

夜を切り裂き飛び回る小夜啼鳥と、その天敵である盲蜥蜴。彼らはかつて仲良く暮らしていたことがあるのをしっていますか。小夜啼鳥も、盲蜥蜴も、昔持っていた目玉はひとつずつ。ひとつの目しか持たない異形同士、身を寄せあい助けあい、しあわせに穏やかにくらしていたそうです。

ある時、小夜啼鳥は鷹の婚礼に招待されました。悠々とした鷹の晴れ姿、そんなところにとても片目ではいけはしないと嘆く小夜啼鳥に、盲蜥蜴はいいました。

「いいだろう、僕の目玉を貸してあげよう」

盲蜥蜴は枝でもうひとつの目をくり抜き、小夜啼鳥に渡しました。二つの目玉を手に入れた小夜啼鳥はすっかり気分が良くなって、そうして二度と盲蜥蜴に目玉を返すことはありませんでした。

目が見えなくなった盲蜥蜴は、ただそっと、小夜啼鳥の巣がある菩提樹の根元に体を寄せて、小夜啼鳥の卵が巣から落ちてくるのを待っています。夜空に響くのは、高いぞ、高いぞと声を張り上げ歌う小夜啼鳥の声と、低くうっすらと聞こえる盲蜥蜴のすすり泣きだけでした。

あまりに残酷であるが故に第2版改定の時グリム童話から削除されてしまった「小夜啼鳥と盲蜥蜴のはなし」。私は未だかつてこれが日本の文献で文字になっているのをみたことがありません。それ程、グリム童話の中でも知名度が低く悲しいのがこの寓話です。このお話が、私はとても好きです。

 

正直にいって、Kの明るい面を目の当たりにしてこんなに辛くなるなんて思いもしませんでした。たくさんの人に囲まれて笑い合い声を張り上げる彼は確かに魅力的で、そんなKに惹かれる自分がいるのも事実。だからそれを責めたり妬むのはお門違いなのです。私は自分の人間としての不完全さを、白い大きな壁に向かって詫びずにはいられません。

日陰生まれ日陰育ちの黴のような人生でした。直射日光に当たると湿気が足りずに死んでしまう蛞蝓のような生活をしてきました。どうせ日の元では生きられないのだからと、影から光の筋を睨みつけて生きてきました。

明るい顔をしたKと関わる人たちを、私は注意深く見ていました。ああ、罷り間違って彼があの人たちの誰かに恋してしまったらどうしよう。「やっぱり自分は日向で生きていくのがあっている、日陰のじめついた黴の匂いは面白いけれど少し違う」と、Kが気づいてしまったらどうしよう。情けない話ですが、私は自分が彼に選ばれたことすら忘れ、ひたすらそのことに怯えていました。

 

盲蜥蜴というのは極めて醜い蚯蚓や蛇のような生き物です。目は退化して見えず、手足もないので地面を這いつくばって生きています。一方の小夜啼鳥は美しい羽を持つ綺麗な鳥です。なぜこのグリム童話にこの二匹が選ばれたのかは定かではありませんが、少なくともこの二匹は釣り合いません。

私はこんな想像をして悲しくなります。片目しか無く世界をしっかり見ることのできなかった小夜啼鳥は、両目を手に入れまじまじと見た醜い盲蜥蜴の顔にすっかり嫌気がさしてしまったんじゃないかと。高い高い木の上光の世界で生きていって、闇の狭間においてきた盲蜥蜴のことなどいつかすっかり忘れてしまうのではないかと。それを知っている盲蜥蜴は悲しくて悲しくてたまらなくて、もう一度小夜啼鳥と一緒にいたくて、その卵を狙っているのではないかと。

 

もし、と思ったのです。私と一緒に陽の当たらない影で寛いでいたKは、ふらりと日向へ歩いていって。ふと振り返った時闇の淵から出られない私を見て。「ああ醜くてつまらない」と思ってしまうんじゃないかと。

たとえKがそちら側で生きていくことを決めたとしても、私は止められません。追いかけることも多分できません。ただ日影からは出られないまま「おいていかないで、そっちにはいけないの、いやだ」と細々泣くだけなのです。遠く遠くへ行ってしまうKの背中を悲しく眺めて、ああ彼の残滓が落ちてきやしないかと狙い続ける。

Kは本当に素敵な人で、それに比べて私のなんと醜いことか。容姿が美しいわけでも、体の均整がとれているわけでも、とびきり頭がいいわけでもなく、特別な才能もなく、できることといえば当たり前なことを当たり前にこなしていくことだけ。Kの周りの人たちは、Kの周りにいるのにとても相応しいように見えました。明るくて、キラキラして、私なんかとは全然違う。

私は暗い気持ちで考え続けました。こんな人素敵な人がどうして私のことなんて好きになってくれたんだろう、もしかしてこれは全部わたしの孤独が生み出した妄想なんじゃないだろうか、きっとそうだそうじゃなきゃこんな明るくて素敵な人が私みたいな、盲蜥蜴みたいな女を愛してくれるはずもなかったんだ、ああ早く頬をひっぱたいて目覚めなくちゃ、夢を現実だと勘違いして執着してしまう前に元の世界に戻らないと、もっと不幸で暗い場所へ。

そこまで思考を追い込んだ辺りで、私はどうしようもなくなって隣で眠るKの背中に抱きついて吐き出すように不安を語りました。Kは笑いました。「そんなことだろうと思ったよ」。

その軽やかな一言に、一瞬私は腸液がぐらぐらと煮えるような感覚を覚えました。そんなこと? 一体何が? 私はそれで悩んだのに――でもそれは一瞬でした。Kのあまりに穏やかな顔と、私の頭を撫でる手を受けたら、煮えた思いはあっという間に気発し、ふわふわと空気に溶けて何処かにいってしまいました。

そんなこと、彼のいうそれはどうでもいいこと、という意味ではなく、私がそれを悩む必要はないのだよ、という道標だとすぐわかったのです。

 

私は確かに何もできません、彼が愛してきた人の中には私よりも可愛く素敵で聡明な人がたくさんいたでしょう、でもこれだけは正しいと言い切れます――私は彼の影のよりどころとして選ばれたのです。そのことをもっと誇り、できることからやっていかなくてはいけない。

毎日彼のお弁当を包むことが、彼の帰りを笑顔で出迎えることが、彼の表の幸せにきっと繋がっていくのなら、私はそれで構いません。みんながみんな表の彼を愛するだけではだめなのですから。

裏の彼が欲するのは、数少ない人からの、絶対的で圧倒的な揺るがぬ承認。

 

私は私しか彼に与えられないものを持っている、持っていないのだとしたら必ずそれを得る。だから心配することなんてないのです。私は確かに可哀想な盲蜥蜴なのかもしれません、それでもKがそっとこちらに降りてくることを信じて待てば願いは遂げられます。

 

 

私はすぐに起き上がって、一週間のお弁当の支度や夜ご飯の準備を始めました。私は私の価値を信じます。目玉を取られすすり泣くだけの蜥蜴にはならないのです。また一週間が始まりました。