ヰンダルジェンス

はやく主人公になりたい。(日々を可能なかぎり文学的に書き残す、私なりの彼との全記録)

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初夏の匂いがします。雨が降ったり寒くなったり、不安定で寂しげな春はあっという間に過ぎ去ってもうすぐ夏が来るようです。どうもここのところ年々、春というものが短くなっている気がします。一体それは、慌ただしい年度の初めを味わう余裕がないだけなのか、地球温暖化のせいなのか、私の感性が鈍ったのか、定かではありませんが、ともあれ今日はすっかり夏の気配が其処彼処に滲んでおります。

卒業や巣立ちは涼しい時期に訪れるものと相場が決まっております。これからあつくもなろうというこの頃に人生の区切りがあるなんて、一年前の私は想像もしなかったでしょう。

あゝ。金子みすゞのような溜息をついて私は実家の家の鍵を閉めました。強迫的に何度かがちゃがちゃと扉が閉まっている事を確認して、私は背を向けます。一瞬鼻の奥が痛んだような気がしました。実家を離れる感傷が、まだ私にも残っていたことが驚きです。いつでも帰って来られるけど、二度とこの家に帰属することはないのだろうと思うと、少し寂しい気がしてきました。

 

本日5/24、今日はおそらく私の人生の大きな区切りの日です。本日から私は恋人であるKの家に移り住み、一緒に暮らし始めます。

 

私の生家は名家も名家、父は陰陽師安倍晴明の血を引く旧華族家系の長男、母は尾張の大地主の娘。お見合いで出会った二人は瞬く間に恋に落ち家のしがらみなど捨てて二人の愛だけで生きていこうと流れ着いた先が港町横浜、最終的に二人の愛を認め合った父方母方両家からの支援を受け悠々自適に暮らしつつその寵愛を受けて育ったのが私――というのは全て嘘です。私はごく普通のサラリーマンの父と自営業を営む母の元生まれ、22年間の殆どを両親とともに暮らしておりました。

実を言うと、実家を離れるのは初めてではありません。一度目は三年ほど前、大学に進学した時です。首都圏暮らしの長い私は何故か地方都市の大学に進学し、1年間を学生寮で、1年間を仲の良い友人と二人でアパートを借りて生活しました。なので、生活費を自分で何とかすることや、自分の世話を自分ですること、あるいは血の繋がりのない誰かと共に暮らすことは、厳密に申し上げると経験済みです。ただ今回実家を離れ恋人と暮らすと言うのは、自ら22年暮らした生家への帰属を放棄することでした。恋人と同棲しようと思うと伝えた時、父は私にいいました。

「君の人生だ反対はしない。たけど本当にその気なら、決着がつくまで帰って来るな」

父のいう決着と、私の思う決着が一致しているのかどうか確かめることはしませんでした。それでも私は頷いて家を出ることにしたのです。

 

19歳で家を出て、一度一人暮らしを経験して、実家に舞い戻ってきたのは21の時。簡単に言えばお医者様の助言を受け実家に帰る事を決めました。一度自分の生活を自分で管理する事を覚えてしまうと、そのあと誰かに口を挟まれるのは嫌なものですが、実家に戻った当時私はそんなことも考えられないほど疲弊していました。大学は一旦休学扱い、しばらく静養していた私がある程度気力を回復させ、働き始めたのが去年の12月です。

アルバイトとして働き始めた私を、社長はすぐに社員にならないかと誘ってくれました。しばらく悩んでいたのですが、2月の頭ごろには概ね考えを固め、次の休学申請が通ったら正社員になろうと決めていました。やはりその時私は自立する事を強く意識しました。

社会人として生きて行けるほどの十分なお給料をもらって、まだ生家にしがみつく理由があるのか、と。未だに私には家族というものの価値がよくわからないのです。私は一人娘として、とてもとても愛され手塩にかけられて育てられましたが、私と母の関係や、私と父の関係はどうにもこうにも歪んでいて、でもその歪みはすでに私たちの生活においては当たり前になっていて、修正することはおろか、自覚することすら難しくなっていたというのが、我が家の実情でありました。

ある時親しかった男性と、こんな会話をした記憶があります。

「君とお父さんの関係はおかしいよ」と、彼は言いました。私はざらりとした声で返しました。「あなたお母さんとセックスできる?」「できるわけない」「それが普通?」「普通だと思う」「じゃあ私普通じゃないかも。私お父さんとセックスできる」。

そもそも血が繋がっているだけで発生する無条件の愛などなく、見返りのない投資を行う人もいない。そういう前提が崩れ紐解け再構築されたような両親との関係は、心地の悪さなど感じないくらい私の髄まで染み付いていました。

 

一度目、生家を離れた時私はあまりの自分の”何もできなさ”に戸惑いました。何もできない、というのは、家事ができない洗濯機の回し方がわからない風呂の洗い方がわからない、そういう話ではないのです。

いつ、ごはんを食べていいのか。

いつ、お風呂に入ったらいいのか。

いつ、お洗濯をしたらいいのか。

いつ、友達と遊んでいいのか。

いつ、勉強をやめたらいいのか。

それが私には全くわからなかったのです。しかし人間は適応能力の高い生き物、思考を求められればそれなりに脳は発達し動くようになってきます。おかげさまで二年もすれば私は立派に生活することができるようになり、部屋はいつも綺麗で、ご飯は作り置きがあり、洗濯物をお日様の下干すのが大好きな人間に生まれ変わりました。

一度そうなってしまえば、やはりバージョンダウンは難しいもので、生家に帰ってからというもの、特に体調がある程度回復し思考力が戻ってきてからというもの、私は違和感と窮屈さを禁じ得ませんでした。

だから就職を決めた時、とりあえず少し落ち着いたらどのみち家を出て行こうと、私はそう腹を決めたのです。それが二月のこと。その時はまだ、まさかその直後にできる恋人の家に転がり込むことになるとは思ってもいなかったのですけれど、人生って不思議。

 

一人暮らしは孤独ですが楽なものです。好きなだけきっちりすることができるし、好きなだけだらしなくなることもできますから、それはもちろん快適です。誰にも邪魔されない犯されない自分だけの空間を持てるのですから。それでもなお、私がKとすんで見ようと思ったのは、純粋になんだかそちらの方が面白そうだったからです。

私はあまり自分の生活というものに、こだわりやかんがえがありません。比べるとKは、私より随分生活のこだわりが多いような気がいたします。Kの家によく来るようになってから、使っているシャンプーや日用品の銘柄に、私は唸ったものでした。しかしそこは無色透明の私、生活様式は合わせることができます。それどころか、こだわりがある人と暮らすのは私にとってはとても楽なのです。思考しないということは、膨大な選択肢から何かを選ぶ基準がないということ。それであれば、基準がある人に選んでもらう方がずっと良い。私はKの感覚を信頼していますから、それに任せて見ようと思ったのです。

こだわりやかんがえのなさ、というのは、日常生活以外にも及び、随分無趣味で引きこもりがちな私に比べてKは「あれをやってみたい」「ここにいってみたい」「自分ならできる気がする」という人。私はそのKの「やってみたい、してみたい、やろう」という動作に、基本的にすべて乗りかかって行くことにしたのです。

もちろん面白いというだけではありません。私はKといると、なぜかよく眠ることができ、普通に食べることができます。普段だったら異常があって当たり前の私の生理機能がきちんと働くのです。それを人々は安心感とか、リラックスしている、とか、そういう表現をするのかもしれませんね。まさに万薬。全く面白い人です。

 

Kは私とおつきあいをする前、こんなことを言っていました。

「恋人と喧嘩したことがない」「だから、不満を溜め込まれて突然爆発されるのはとても嫌なんだ」「次付き合う人とはちゃんと喧嘩したい」「喧嘩したいっていったら違うけど」「ちゃんと向き合って話し合って乗り越えて、みたいなのをしたいなって思ってるんだ」

人と向き合う、とみんな簡単に言いますが、私は人と顔を突き合わせて向き合うなんておぞましい真似、今まで真剣にやったことなど一度もありませんでした。向かい合って何になるというんでしょう。どちらかが目をそらすまでの我慢大会ならやらなくても構わないのです。――その一方で、それで失敗してきていたのも薄々わかっておりました。向き合うというのは恐ろしいこと。人は常に鏡です。深淵を覗く時深淵もまたこちらを、毒を食らわば皿まで、つまり人の問題を指摘するのであれば自分の問題に向き合わなくてはいけないのです。私はそういう、解決や向上から逃げてしまう節を自覚しつつ、直せないままずるずると生き延ばしていました。

だからKがそう言った時、というよりも、その向かい合いたい対象が私であるとわかった時、私は痺れるように恐ろしかったし、でもとても、とても、嬉しかったのです。誰も私の醜い顔など見たくないと思っていたから、私は顔をそらし続けていたのかもしれない。だから、頬に手を当て顔を覗き込み、しっかりこちらを見てみなさい、怒らないから伝えなさい、と言ってくれる人がいたのが、とても嬉しかった。

私はKに対して誓ったのです。付き合い始めたその日の夜に。

「いろいろ大変なこととか、考えなきゃいけないこととか、すり合わせなきゃいけな価値観とか、あるとおもうし、そういうの苦手だけど、がんばってみるから、いっしょにがんばりましょう。よろしくおねがいします」

私は彼の家に約束を果たしにきたのでしょうか。乗り越えなきゃいけない試練がいくつも降りかかって来るだろうことを考えると、私はときどきたまらなく憂鬱になって、ふっと逃げてしまいたくなります。今はまだ幸せだから。いまはまだ楽しいから。幸せな記憶は冷凍保存、今手放せば永遠になるから、そんな美しくラミネートされた言葉を並べ立てて逃げる口実を探したくなります。でもそれをしないと、したくないと、しないで生きてみたいと、生半可な覚悟ではなくそう思ったから、私はこの家にやってきたのだと思います。

 

荷物は、大型のトランクひとつぶんでした。お着物と、大切な服、仕事道具だけをもって、私は新しい住処にやってきました。家の人は誰も私を見送らなくて、いや、私が見送らせなかったのかもしれません。私はひっそりと、少しやましいような気持ちで家を出ました。書き置きと、夜のご飯だけつくってきました。

 

「おとうさん おかあさん ありがとう 無理せず頑張りすぎず楽しく幸せに暮らして来るね

しっかり仕事して お金もらって 遊んで、元気でやります。たまに帰ってきますね、いってきます。」

 

一瞬、やはり泣きそうな気がしました。でもこれはおそらく、再出発、区切り、折り返し、第二楽章、切り替え、スタート、ともあれそういうもの。本来人々が春に連想しそうな新しい何かを、たまたま私は今日迎えただけ。不安と期待で胸が苦しい。私は彼の期待に応えられるでしょうか。父の言う”決着”を自分の手でつけられるのでしょうか。

結果は推して知るべし、未来予測は誰にもできず、予知や予言は世迷言。やってみるしかないのです。動いたものにのみ未来は訪れ、腹を決めれば私は変わる。

 

そんなこんなでリスタート。今日の夜ご飯は、牛すじ肉のビーフシチューと、アンチョビ・たまご・ハムのポテトサラダと、パンナコッタ。同棲を始めたお祝いは次のお休みにとっておくことにします。ようやくKとの暮らしが始まるのだと思うと、やはり憂鬱な気持ちより、どきどきして面白くて楽しいことが待っているような気持ちの方が大きいみたいです。だって家に帰ったら好きな人と会えるんですもの。その幸せを上回ることって、この世にそんなにたくさんはない気がするのです。