ヰンダルジェンス

はやく主人公になりたい。(日々を可能なかぎり文学的に書き残す、私なりの彼との全記録)

Killing me softly

"Killing me softly with his song"という有名な歌があります。人々はこれを「やさしく歌って」と和訳しましたが、私は素直にやさしく殺して、というほうが色っぽいと思います。彼が歌う。私はその歌声で、胸が締め付けられて、死んでしまいそうになる。そんなニュアンスの歌です。そう言えば英語では、恋のドキドキを"Butterflies in my stomach"と言うそうです。なんだか可愛らしいですね。きっと私のお腹の中にはおびただしい数のモルフォ蝶が住んでいることでしょう。

聡明な読者諸兄はすでにお気づきかもしれませんが(江戸川乱歩風)、今回は幸せなブログです。

 

先日またひとつ歳をとりました。もし私が人間ではなく猫なら、そろそろ高齢という域を超えて完全に化け猫の域に入る年数生きたことになります。私の家はあまり誕生日や記念日を祝う習慣がなかったので「誰かから生まれてきたことを祝われる」ということがよくわからないままそこそこ歳をとってきてしまいましたが、それでも毎年、「今日から何かが変わるかもしれない」と思って少しドキドキしたのを思い出します。思えばすっかり想像力の枯渇した、つまらない大人になってしまいました。

小学生の頃は本当に異常なほど友達がいなかったので、正直いって誕生日は苦痛でした。二年生の時の教室の悪習で、「その日誕生日の人は、好きなお友達と机をくっつけてご飯を食べていい」というルールがありました。私には選べる人なんて一人もいませんでした。なんといいますか、私の誕生日はいままでずっとそんな感じでした。少なくとも、一度も、誰かが私の誕生日を祝おうと思って頭を悩ませたりしてくれたことはなかったと思います。そう、今までは。

  

というわけで、今年の誕生日はKにたっぷりお祝いしていただきました。向かった先は、国内某所のオーベルジュ。お恥ずかしいことに私はオーベルジュという営業形態をKから教えてもらうまで知りませんでした。

オーベルジュ(Auberge)とは、主に郊外や地方にある宿泊設備を備えたレストランである。

この説明の通り、伺ったのは郊外にあるこじんまりとした、でも大変風格のある宿泊施設つきレストランです。フランスの貴族の別邸のような小さくて頑健な建物は森に囲まれていて、緑の良い香りがいたします。ウェルカムドリンクの水出し紅茶と、爽やかな香りの甘夏のピールをいただきながら、幸せに浸ります。

 

オーベルジュですのでメインはお食事。仔牛のロースト、富士山サーモンなど贅を尽くした丁寧な料理が並びますが、なによりも美味しかったのが……お野菜! 

私は料理は食べるより作るのが好き、好き嫌いはない代わりにこれといって好きな食べ物もない、食べるのが早かったり食べ過ぎたり食べなさ過ぎたりといろいろ食事周りにバグを抱えているタイプの人間なのですが、お邪魔したオーベルジュのお食事は野菜中心のヘルシーなフルコース。そのお野菜一つ一つが新鮮で、丁寧に加工され味付けを施され、本当に美味しく噛みしめるようにいただきました。あんなにゆっくりお食事をして、なんの罪悪感もなく幸せに満たされたのは何年ぶり、というほど。

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△ちょっとだけ幸せのおすそ分け。デザートの盛り合わせです。

贅沢な食事をさせていただく機会が今までなかったわけではないですし、単純なコースのお値段だったらもっともっと高級なものを口にしたことも(おそらく)あるのですが、おそらく誰かに「人生最高の食事を教えて」と言われたらこちらのオーベルジュのお食事を迷いなく告げるでしょう。

何よりも、食事が苦手で下手くそな私を思って、きっととてもとても慎重に宿泊先を選んでくれたのだろうと思うと胸がいっぱいで、私は何度も泣きそうになってしまいました。

 

豪華過ぎず、贅沢過ぎず、でも日常から切り離された空間。慌ただしい毎日を過ごしていた最中でしたので、大変心穏やかに過ごすことができました。プレゼントしていただいたのはまさにこの空間と時間だったのです。誰に干渉されることもなく、気を張ることもなく、難しいことは考えず、穏やかな時間の流れと丁寧なお食事を、替えの効かない相手と過ごすその幸せ。形に見えない幸せな時間をプレゼントしてもらうことができるなんて、私は世界一恵まれた女性です。

 Kは冗談めかして、「自分と別れたら後悔するくらいの誕生日を、」と私に言いました。そんな風に思ってくれることがまず嬉しいということを彼は知らないみたいです。

お金を払えば馬鹿でも贅沢のできる飽食の時代、このようなゆったりとした本物の"贅沢さ"を味わえる自分の感性に感謝するとともに、私の好みをあまりによくわかっているKの御慧眼に脱帽しました。

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△でもちゃっかりプレゼントも頂いてしまいました。 BLUE LABEL CRESTBRIDGEのコルセットベルト。

いただいたプレゼントも、一緒に飲んだバーラウンジでのお酒の味も、窓を開けてのんびり入った貸切の温泉も、多分一生忘れません。お誕生日に至る二日間、私は随分"主人公"らしさを味合わせていただきました。そのあと観光に回ったのもとても良い思い出です。

 

移動中、少し面白かったエピソードを一つ。私の両親は未だにお互いを名前で呼んでいます。両親だけでなく、私の親族夫婦はかなり名前で呼び合っている夫婦が多いです。子供に対して「お父さんがね」と三人称を使うことはあれど、基本夫婦間では名前で呼び合う、私にとって当たり前のそのことに、Kは非常に興味深そうに聞き入っていました。

私の両親は今でもとても仲がいいのです。父は母のことが大好きでたまらず、母もそんな父を往なしながらも尊敬を持って接しています。おかげでその夫婦間のご機嫌の良し悪しが子供である私に飛び火していたのは反面教師にしなくてはいけないところだと思いますが、私はいつまでもいつまでも名前で呼び合いお互いのことを大切にしている父と母の関係を純粋に好ましく思っています。

そんなこと、言えませんでしたけれど。「私も将来そうなれればいいと思っている」、と。Kに伝えたいと思いながら私は彼の運転する車の助手席に座って外の海を眺めておりました。

 

――私は私にまつわる全てのものを、武器で有り戦略であると捉えていました。言葉、顔、振る舞い、体。全てを使って相手を懐柔すること。虜にすること。自分が文字通り"なんでもできること"を自分の武器にしていました。痛いことも苦しいことも怖いことも体に負担がかかることも、私はやってきました。キスもセックスも、相手が望むからこそできたものでした。どんなにおぞましいことでも望まれれば何も感じずに実行できた。

「あなたのためにこんなことができる女の子、他にいないでしょ」「ここまでやってくれる人なんてきっと世の中に私以外にいないよ」「だから離れないでね。離さないでね」「あなたはきっと後悔するから」。そう叫び続けていたのだとおもいます。たとえ意味がなかったのだとしても。

私は今まで簡単に言葉を使ってきました。深く考えることはしませんでした。思考を停止させさえすれば、お料理係にもお掃除係にもセクサロイドにもなることは難しくありません。相手の望むことを言うのも、自尊心をくすぐるのもそれはそれは簡単なことなのです。ただ空っぽの器に相手が望む情報をインストールするだけ。

 

私が、貴方を、喜ばせる。その見返りとして一緒にいてもらう。その構図は一生揺るがないものだと本気で思い込んでいたので、私は誕生日にかこつけてこんなに甘やかして喜ばせてもらえたことが嬉しくてたまらなかったのです。本当はこんなことがしたかったんだなあ、と、自分で自分を省みました。そして、幸せという形で、この喜びを彼に返していきたいとも本気で思いました。いえ、返すのではありません。相手のための幸せを自分の幸せと密に結びつけること。そうして幸せを共有していくこと。そういうことが新しく人生の目標になったのです。

幸せが一方通行では決して成立し得ないと、教えられ学んだ二日間でした。

 

「大好き」「愛してる」「結婚したい」、生きているうちに何回いったかわかりません。重みがない、シャボン玉のような言葉たち。いずれパチンと弾けてしまうのはわかっていたのに、私はぷかぷかとそれらを浮かばせ続けることをやめませんでした。

それが今はどうでしょう。私はKに何か感謝を伝えたり、愛情を伝えようとすると、心臓が止まりそうになってしまうのです。無数の蝶々たちが胃の中で暴れまわり、体全身が脈打って私の呼吸を止まらせます。私が今まで散々軽々しくいってきたセボンでクリシェでトレビアンな愛の言葉など、もう軽々しく言えないのです。

私にとって、今の私にとってその言葉は、一言一言が意味を持ちすぎて、あまりに重い。本当はそういいたくてたまらないのに、伝えたくてたまらないのに、喉につっかえて出てこなくなってしまうほど。

 

どれだけ尽くしても、どれだけ言葉を並べても、彼は私の影にある、もはや何の意味もないただ重たいだけの様々なものたちの存在を感じずにはいられないでしょう。だからこそ、感謝と喜びは態度で示していきましょう。優しく優しく私を絡め取り、真綿のように首を絞めていく幸せのなかに私はすっかりひたりきって、すっかり溺れてしまいそうでした。

 

本年の目標は、「もう少し自分を大切にする」、です。おつきあいありがとうございました。