ヰンダルジェンス

はやく主人公になりたい。(日々を可能なかぎり文学的に書き残す、私なりの彼との全記録)

世界が始まった時のお話

Sは私によく言いました。「君は俺の神様、君だけいればいい、愛してくれない母親も他の人もいらない、俺の神様。俺の神様。俺の神様。俺だけの」、――信じるものに捨てられた神様はどうなるのでしょうか。神を作るのは人々の信仰心です。逆に言えば、信仰心のみが神を形作ります。誰にも信じられなくなった神様は、一体どうなるのでしょうか。

Sに対して未練があるか、と聞かれたら私は答えに窮してしまいます。未練、そんな美しいものは残っていません。私は文字通り全てをSに譲り渡しましたから、そう、未練すら残っていないのです。あるとすれば、愛情の残滓。かつて愛になりたかったけれどなれなかった何か。それは自分の体の中に吐き出された精液が、重力に従って溢れる時の感覚によく似ています。確かに私の中あった私のものではない何か。生暖かくて人臭い、でも種を結ぶことも実ることもないただ吐き出されただけの。かつて私の体に縋り付き跪き足を舐め私を神と呼んだ男が、一体次は何を信じて生きて行くのだろうと、一人でお酒を飲んだ時にふと考えては風の音に霞むように消えて行く。それだけです。

 

閑話休題。依存先を失った私は新たな依存先を探すための旅に出ることにしました。というのも、失恋でぼろぼろになった私に母はこうアドバイスしたのです。「とにかく数を打て」「次に行け」。一理も二理も三理もあると頷いて私はそれはそれは華やかに遊び始めました。

生憎私は決して華やかな容姿をしているわけではないのですが、少しばかり口が立つので面白がってくれる人は絶えません。お顔も育ちも頭もいいのに結婚できない外資コンサル、大学の先輩の自称港区男子くん、世間ではそこそこ有名な脚本家先生から頭の悪い美青年まで。遊んでくれる人と片っ端から遊んでいきました(ここにデート代や私がとった失礼な態度への謝罪をします。皆々様スミマセンデシタ、良縁願っております)。でも虚しさは募るだけでした。多くに目を向ければ向けるほど、S以上の人なんて見つからないと、その確信だけが浮き彫りになって行くようでした。

渋谷の地下街の占い師さんには「彼じゃない」とはっきり言われました。「貴方とSさんは、飲み物をを飲むとき選ぶコップが一緒。普通の人は選ばないような形のコップをお互い手に取ったから、ぱっと直感的に結び合った。だけど彼が飲みたいのはブラックコーヒー、貴方が飲みたいのは温かくて甘いミルクティー、そういうことなの。あなたが生きるのは耽美と芸術の世界。Sさんはそれを通り過ぎて、鍛錬の世界に生きていこうとするのよ」。わかるようでわからない占いに答え合せをしてもらいながら私は仕事に明け暮れました。

誰にも、何にも期待せず、自動返信AIのように言葉を返すだけ。恐ろしくつまらない人生です。――私がKと出会ったのはその真っ只中でした。

 

彼、Kが私に何を感じたのか、何を思ったのか、それは私の窺い知るところではありません。その頃私はすっかり玩具遊びに疲れ果てていました。四十路過ぎの脚本家先生や、職場の元黒服だという先輩が私に好意を寄せているだろうことが目に見えていた頃、Kは突然現れて私の人生の色相を変えてみせたのです。

Kとの待ち合わせの日、私はものの見事に遅刻しました。約束を軽んじていたわけではないですが、期待もしていませんでしたから、私は普通の人のような格好で、普通の人のような顔をして、普通の人がいくようなカフェで彼と待ち合わせをして落ち合いました。

Kへの第一印象は、正直私はあまり覚えていないのです。ただ、「嗚呼なんて普通さふな、綺麗な顔をした好青年なんだらう! 」と、三島由紀夫じみた感想を持ったことは確かです。普通そうで綺麗な顔をした好青年。少なくともそれは私にとっては褒め言葉では有りません。でもすぐに私は自分の直感力のなさを怨むことになります。のちに聞いた話ではありますが、Kは私に対して何か直感的に思うところがあったようでした。

 

またどうしようもない精神世界のお話に戻りますが、私はそもそも、人生云々に価値を見出してはおりません。もちろん哲学的な問いは人並みに行います。神はいるのか宇宙は本当に馬の鞍型なのか心は心臓にあるのか脳にあるのかこの魂は誰のものなのか我々は死んだら何処へ行くのか。ただ、このブログを始める時に書いたように、私は自分の人格の完成、すなわち「完璧な私になること」と、「自分を自分の人生の主人公に据えてその座を誰にも渡さないこと」にしか基本的に興味がありません。人生に意味や価値があるか問いかけることはただのマゾヒスティックな趣味に他ならないのです。

だからこそ、私は関わる人たちをとても慎重に選びます。この人は私を気持ちよくしてくれるかどうか。この人は、私を主人公とした物語の登場人物に相応しいかどうか。自分の人格を完成させることに役立つかどうか。そう、"普通の青年"は普通の青年に過ぎず、どれだけ美しいかんばせをお持ちでも、どれだけ無尽蔵の財力があろうとも、私にはなんの価値がないのです。

 

さて、史実記録に戻りましょう。その日のデートはとても普通で、私たちはしばらくふらふらと歩きながらぽつぽつ話しているだけでした。正直にいうと彼はとても退屈しているように見えました。まあ私みたいな小娘と突然二人であって出掛けても面白くなどなかろう、とすら考えていましたので、明らかに切り上げることも可能なタイミングで食事に誘われたのに驚きました。

適当に立ち寄ったやる気のないイタリアンで、私たちは、やれどんなビールが好き、だとか、お正月のお餅が余っている、とか、しばらくはそんな話をしていました。ビールを飲み終えたKは徐ろに携帯を触り始めました。

「あのさ。アングラ趣味とか理解ある人?」

彼のスマートフォンの画面には、全身ラバーのフェティッシュな格好をした人と彼が二人で写った写真が。彼の言葉は一言一句そのままです。そんな小さな問いかけは、突然私の頭を殴るような衝撃を与えました。なんだこの人。たまらなく、面白い。

私はファッションが好きです。コルセットが好きです。フェティッシュなものが好きで、BDSMに惹かれます。そんな自分を捻じ曲げてまで恋人が欲しいと思ったことはありません。そう、世界の主人公は私。そこにそもそもそぐわない人なら私の人生に関わりのない人だったのだと私は簡単に見切りをつけます。

正直に言えば、私はKが自分の世界の重要な登場人物になる片鱗すら、その瞬間まで感じていませんでした。彼はただ見た目が少し華やかで美しい、人当たりのいい好青年に見えていました。でも、だからこそ、彼がちらりとのぞかせたその裏側に、私は強烈に惹かれました。血が湧き立つような思いでした。

 

そう、その時ようやく思い知ったのです。Kが抱いた直感の強烈に研ぎ澄まされたその鋭さを。そして、ようやく一度終わっていた世界が始まる時の芽吹きを。

 

彼は私の顔を一目見た時にはすぐに何か、つまり彼が持つそれ相応の癖を私が受け入れられるということをを直感的に察していたそうです。かたや私は「このひと私といて楽しいのかな」「次はないだろうな」なんて考えていた。ああ恥ずかしい。情けない。でも、面白くてたまりませんでした。彼の口から出る趣味も、癖も、私の愛するものやことにとても近いのに触れたことのなかった興味深いものばかり。

どうして彼が私を見て直感的に"何か"を察したのか。

どうして彼がそんな外道な趣味を持つに至ったのか。

どうしてこんなに普通を装えるのか。

なぜでしょう、私はそこに、どうしようもなく活路を見出したような気持ちになりました。Sに捨てられて、私は私の世界に一人で取り残されたような気持ちに浸っていました。それは今思えばくだらない自慰行為にほかならなかったのです。本当はどんな手段を使っても、誰かと抱き合い睦みあい愛し合いたかったのは私です。それを認めようとせず、所詮他人は他人と嘲笑い、抱き合う相手など見つかるはずがないと見切りをつけて孤独に浸り、被虐的に組み敷かれる自分をただ楽しんでいただけ。

彼は私の前に現れて証明しました。私は私の世界の主人公になれると。私の人格を完成させることができると。そうして私の人生は急激に面白くなりました。それまで私は死体のような自分の体を、ただ器として引きずりながら、つまらなくてたまらない人生を食いつぶしていたのです。それがあの夜一転しました。ドラスティックに、ドラマティックに。どんな言葉を並べ立ててもあの時の世界に色のついたような感覚は説明できないでしょう。それでいいのです。あの喜びは、私だけのもの。

心臓の動き、熱が高まって香り立つ皮脂とDiorのHypnotic Poisonが混じった香り、そういうものがありありとわかるようになることを人に恋することだというならば、私はもう少し人生を嘲笑わずに済みそうだと思いました。

楽しくてたまらない私にKは尋ねます。「来週とか会える?」私は二つ返事で答えました。勿論、と。

 

待ち合わせをした駅の裏の喫煙所で一本煙草を吸うKの横で、私は昔からそこに自分の居場所があったかのような気持ちを味わっていました。またしばらく、到底常人にはわからないであろう趣味の話をぽつぽつとして、私たちは帰路につきました。

じゃあ俺はこっちから帰るから、と。私を改札まで送るでも見送るでもなく、Kはなんの未練もなさそうに私とは違う路線を指さしました。ドライだなあ。苦笑して私は頷きました。「また来週ね」。先に背を向けたのは私でした。でも、振り返ったのも私でした。正反対の方向へと歩いていく、黒いダウンジャケットの背中を見つめながら私は負けを認めました。負け、負けです。ああ、負けるのってこんなに気持ちよかったっけ。

どうしようもなく楽しくなりながら私は久々に生きた心地を抱えて歩き始めました。帰り道、少しだけSのことを思い出しました。Sに向かって私は心の中でつぶやき続けていたのです。「大丈夫よ、私はちゃんと不幸だから」。惰性で私はその言葉を繰り返しました。私はちゃんと不幸だから――冗談のような響きでした。馬鹿馬鹿しい。不幸な人間は、ヴィヴィアンのコートの裾をふわふわと翻しながら歩いたりしないものです。

 

世界が始まったお話はこれで終わりです。これからは少しずつ、思ったことや考えたこと、日々あったことを記録していきます。残念ながらKはもっともっと狂っていて、面白くてたまらない方だったのですが、それはどうかまた語らせてください。