ヰンダルジェンス

はやく主人公になりたい。(日々を可能なかぎり文学的に書き残す、私なりの彼との全記録)

その呪いに祝詞を

サディズムマゾヒズムは呪われた性癖です。人を虐げ殴り海綿体に血液が送られるのも、骨が軋むほど頭を踏まれながら子宮が下がってくるのも、気持ち悪くておぞましい。決して誇れるものでも美しいものでもありませんし、そんなもの、持っていないならいない方が良い。SM行為にエロティシズムは感じても、憧れるのはお門違い。ましてや自分でやってみようと考えるなんて、愚かです。

そうとわかっていながら、組み敷かれる喜びと、被虐と、屈辱とを愛し、醜い私を肯定する形でしか愛情を喰らえない私を、かわいそうないきものと人は嗤うのでしょうか。

 

高校生の頃です。私は書きたい小説の構想を練っていました。

主人公は17歳の少女、彼女は非常に高圧的で、容姿も優れ、成績も優秀。しかしどうしようもなく歪んでいる。手に入れたい男を見つければ文字通り"なんでも"する。彼女はわざと男を怒らせ、暴力を振るわせ、その罪悪感と湧き上がる快感に溺れさせようと画策する。一方彼女に嵌っていく大人の男は、理知的で穏やか。徐々に彼女の策に堕ち、加虐による愛情の確認に快感を見出していく。

物語の中で男は古くからの友人にこういいます。「俺は彼女を叩いたよ、平手で一発。しまったと思った。取り返しがつかないことをした、どれだけ彼女が非道なことをしても手をあげちゃあいけない。肩が震えて、彼女は顔を背けてた。真っ青になったさ、ああこれで終わった、全部台無しだ――次に顔を上げた時に彼女は俺に言ったんだよ、初めてこう言った、"愛してる"」

その物語を読んだ友人らは私を批判しました。ありえない、理解できない、恐ろしいと。私はこれを純愛のつもりで書いていたのです。なんとなく、自分の性癖が少しおかしいのは気づいていました。でもその時が初めてでしょうか。暴力を"振るわせる"こと、それが快感であること、張られた頬に手を添えて流れる涙で皮膚をひりつかせながら愛していると囁くことはおかしいことなのだと、私は深く自覚をしたのです。そうして、人と長い時間をかけて信頼を築き、全てをぶちまけて愛し合うことを諦めていきました。

 

思えば私はずっと"そう"でした。ごく普通に愛し合うことで喜びと幸せを見出せる人と付き合っては、彼らを地獄のように苦しめてきました。振り回し追い詰め不安にさせて依存させて――それと同時に私は激しい良心の呵責を感じていたのです。それは嘘ではありません。でも、誰一人として私に手をあげる人はいませんでした。容赦なく頬を叩いて髪を掴んでくれる人なんて世の中にはいなかったのです。だから私は蓋をしました。自分の欲望や、幸せに蓋をして鍵をかけ、その鍵を放り出しました。

 

突然私の世界に現れたKに対し、私は「彼は私に興味がないだろう」と評していました。一方の彼は、私の写真を一目見た時からこの人と深い関係になるだろうと思っていたと言うのですから驚きです。

過去の記憶は美しい方へと改竄されていきますから定かではありませんが、私も会った瞬間からきっと彼に惹かれていたのだと思います。ただ、私の自信の無さと、呪われた性癖がその思いにストップをかけていました。

私が欲しいのは、もっと暗い、もっと悲しい、可哀想な支配者。こんなに美しくて、まともそうで、みんなに愛され真っ直ぐ育ってきたひとが、私のことなんて愛して、飼い殺してくれるはずがない。彼は私に不釣り合いなほど素敵でした。優しかった。聡明で、一体世の中の誰がこの人を放っておくだろうかと本気でそう思いました。もちろん、今でも。――こんなに素敵なひとが私のことなんて愛してくれるはずもない、きっとこれは全て夢なのだと、時々本気で思います。

だから、嬉しかったのです。彼が呪われた性癖の持ち主であったことが。彼もまた、その呪いを封じ込めて生きて行こうとしていたその事実が。それでも、私と出会ったことで呪いの詰まった箱をもう一度開けてくださったことが。私の箱を、ハンマーで叩き壊してくれたことが。なによりも嬉しかったのです。

 

ご主人様、私のご主人様。そのパンドラボックスを開けてくれてありがとう。あなたは普通に生きていく選択をしなかったのね、よかった、よかった。明るくて美しいあなたの隣には私はいられないから、汚くて卑しいあなたがそこにいてよかった。

 

神様に会ったら私は彼の胸ぐらを掴んで唇に噛みつきキスして感謝を述べることでしょう。「彼に罰としてあんな呪いをかけたんでしょうけれど、逆効果だったわねお粗末様。ありがとう」

 

私たちの呪いが私たちを結びつけたのなら、私はその事を祝わずにはおれません。K、あなたはどうかこのまま、永遠に呪われた存在であってちょうだいませね。その祈りが私の愛の言葉として、祝詞として、響き続けますように。

わたしには青が見えない

9月になりました。Kと出会って既に半年以上、私たちは何もかもが早かった。瑞々しい熱情と盛り上がりは無かったものの、互いの日常に組み込まれるのもまた、乾いた大地が水を飲み込むように当たり前に早かったのです。大地の乾きがなくなり新しい植物が根を張り始めてもなお、私は彼の横顔を眺めるたび、彼の指が触れるたびに高揚します。少女のようにどきどきと苦しくなるのです。K、あなたはどうですか。ちゃんと私に恋できていますか。

 

多分私はしばらく昨晩のことを忘れられません。とても深い深い痛みと絶望と喜びを得ました。

膝立ちの私の左の頬に、ご主人の平手が飛んできた時のことを。あまりの殴打に耳が鳴り、頭の奥底を虫が飛び回るようにざわめかせたことを。彼が一度叩くたびに、私は泣きながら笑います。そして言うのです。「大好き」。

 

「大好き」と笑い一発の平手、

「大好き」と笑いもう一発、

「大好き」と叫んでもう一度。

 

それは私の重すぎる愛情を掌で掬われているような感覚でした。私たちは何度も何度も狂ったようにそれを繰り返したのです。

 

そのあとはもう、ぐちゃぐちゃでした。子宮の真上をめがけた拳での殴打。腰が引けて怯えて、吐き気と痛みが鈍く襲ってきて立ち上がれないのが何度も、何度も。嗚咽と歔欷が絶え間無く漏れ、涙と唾液で顔は汚れていました。

少しでも動かなくなって伏せば額を擦り付けるように彼の足が頭を抑えつけます。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ちゃんとします、できます、いいこにします、ごめんなさい」

追い詰められて、許されて。痛みの感覚さえ薄らぐほどに意識は朦朧としてきます。私の体は微塵の快感も見過ごさず、主人に奉仕をしているその間も、胸の先端、鎖骨の下、首筋、脇腹を彼の足に擦り付けるように蠢きました。それを責めるようにまた一発、蹴りが。拳が。それでも私の性器は可哀想なほど濡れ爛れていました。指を挿しこめば離すまいとうねり、それは座った床を濡らすほどに。もう苦しいのか、幸せなのか、痛いのか、気持ちいいのかわかりません。ぐたりと臥せる私を抱き上げて彼は笑いました。「おいで、アリス」。

 

赦された。

 

彼の美しくて冷たい、そのくせ目だけは欲情して熱くなったその温度差に、くらくらいたします。私はそっと彼に体を預けました。

 

 

 

出会った頃の私たちはとてもとても愛情と悦びに飢えていて、構築することよりも求め合うことで精一杯でした。毎日が驚きに満たされ、日常を歩む喜びよりも好奇心とアトラクション的楽しさが圧倒的に優っていました。その頃に比べると、私達は随分深さを求めるようになったものです――私が、あるいは二人ともが、大人になったのかもしれません。

 

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▼より良い生活をと願って私が作った食事達。

 

そう、例えば。

Kはもう、私が食卓に何を並べても驚きません。牛肉のカルパッチョ、鴨のコンフィ、凝った和食だろうと、イタリアンだろうと。ただ有難がって美味しいと褒めながら食べるだけ。私が作る料理は彼の日常に組み込まれていきました。それがどんなに幸せなことか、私は知りませんでした。

そう、例えば。

私はもう、眠るKに遠慮してキッチンを使うのをやめたりはしません。私たちは独立した生活を二人でしています。「同棲?一日中恋人と一緒にいられていいね」――そう言われますが、決してそうではないのです。恋人と一緒に便利な暮らしをするのではなく、便利な暮らしを恋人と一緒にするのが私たちの生活の形です。私がキッチンで映画を見ながらお料理をして、Kは寝室でのんびりと動画を見ていることもあります。私がリビングでぐだりと本を読んでいて、Kがせっせと掃除をすることもあります。その幸せを、私は今まで知りませんでした。

 

悲観的なこと言うようですが、私は私とKの恋人としての幸せがいずれ薄れていくことをきちんと覚悟しています。暮らしの中に互いがいるのが当たり前になり、そのことへの感謝も心地いい違和感もいつかなくなっていく。でも、それでいいと思っています。私はそうなりたいのです。

私と過ごす全てが日常に溶け込んでいけばいい。いつかそれを無くした時に悲しむくらいに。生活ができなくなるくらいに。人を二度と愛せなくなるくらい甘ったるく生活の根底に流れ続ければいい。

 

その日常の中に確かにあり続け異臭を放ち続けるのが、私たちの伽の時間なのだろうとそう思います。

彼はいつも足りない、足りない、足りないと言う。私がどんなに溺れてもどんなに壊れても、彼はまだまだ足りないと私を追い詰めるのです。その熱情だけは、ずっと出会った時から変わりません。

 

どんなに日々が当たり前に流れていこうと、私たちに正常と清浄の青色なんて見えないのです。どれだけ穏やかな日々を送っていても、どれだけ月日が流れても、多分彼の奥底の渇きがあり続ける限り私たちは壊れるまで求め合います。

 

だからこそ怖いのかもしれません。私は彼の渇きがなくなってしまうのが怖い。セックスがなければ愛しあえないのかと言えばそんなことはないはずで、私は何がなくとも彼と幸せな日々をおくることはできます。でも、こんなにも愛し合う時間があるからこそ、穏やかで距離のある共闘者として手をつなぐことができるのでしょう。

 

私は彼の熱情に生かされている。彼の熱情とともに死ぬ。それは案外正しい生き方なのかもしれません。

 

ご主人、あなたはいつまで私に興味を持ってくれますか。いつまで私に触れてくれますか。いつまで私で興奮してくれますか。いつかがくるまえに、私は死んでもいいですか。わかりきったことを問いかけて、私は眠る彼の額にキスをしました。今夜はここまで。また明日から日常がやってきます。

崩る、

魔夏、夜風に魘されて眠れずにべたついた体を寄せ合うのが好きです。息がつまるほど暑いのに、体が汗に濡れれば濡れるほど、抱き合った時に皮膚同士がひたひたとはりつくのです。

いつかご主人が言ったのです。「このままずっと強く抱きしめていたら……」「なあに?」「肌が溶けて一つになってしまえないかな」。そんな感覚を味わえる夏の夜。暑さも悪いことばかりではなさそうです。

 

さて、前々から和装は大好きだったのですが、我流での適当な着付けしかできていませんでした。そんなこんなで着付けを手習いし始めたのが6月ごろ。昨今いよいよ先生からお許しを頂き、着物で出かけることが増えてまいりました。世の中には和装に寛容な方がとても多く、ご主人と二人歩いているとよく目立ちながらもそれなりに好意的な視線で見ていただけることが多いような気がいたします。(尚、お祭りなんてあったっけ、という顔の方が半分。)

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▲ご主人撮影。お祭りを眺めて。ご主人からこんな風に見えてるんですね。

憧れのお太鼓結びです。女性の着付けは奥が深い。お恥ずかしい話ですが、今までの我流の着方や着流し方がどれだけ汚かったか、学んで初めてわかりました。やはり無知とは恥、規則は守るためにあるのです。

もちろん、現代風の着物のアレンジも嫌いではありません。それ相応の面白さと楽しさがあることを理解した上で、私は型を守った着付け方を学ぶことを決めました。

 

私は基本的に、自分に自信のない人間だと思います。正確にいうのであれば、自分の才覚を誇る非常に居丈高な面と、恐縮し怯える子供のような面、その両方を抱えアンバランスに暮らしています。思えば、そんな自分の両極端な性質を、誰かに壊されたいと願いながら生きてきた泡沫の日々でした。

そんな私が、着物を着ると少しだけ背筋が伸びて前を向いて歩けるようになります。それはひとえに、私が着物というものを、「主人に崩される為の」と心得ているからです。ご主人のために美しく着付け、私の歪な体を綺麗に包み込み、いつかご主人にそれを壊されて、最後に残った私の核を舐め尽くすように愛される。

そのことが私に生きていく上での指針を与えてくれているのだと、気づいたのはまだ最近です。

 

――ご主人の前に立ち、私は固く結び止めた帯締めを指先でほどきます。ああ、あんなに時間をかけて作ったお太鼓がばらばらと崩れ、帯がだらしなく床に落ちました。ご主人が私の帯揚げに手をかける。帯枕でかろうじて支えられていた芸妓のように垂れた帯は、その支えを失って私の足元に円を描くように散らばってゆきます。

ご主人は私の手を引いて、帯の内側から私を引き上げました。着物の上の伊達締めも、腰紐も。ご主人はいとも簡単に剥がしていくのです。手つきはなんだか、身ぐるみを剥がされる私を憐れむようで、時折私の顎をあげさせて接吻が施されます。私はぐっと涙を堪えご主人を見上げました。正絹の薄手の着物を丁重に扱うように脱がすと、襦袢一枚の私は随分身軽に涼しくなるのです。

着飾った服や、その為の私の努力はご主人の目の前で一枚一枚、私の皮膚から削ぎ落とされていきます。肌着だけを身につけた私は、ソファに深々と腰掛けるご主人の足元にぺたりと座り込みました。

恐る恐るご主人の顔を見上げると、冷たい視線が私の肌に染み込みます。「脱ぎなさい、」彼がそう言うと私はまた泣きそうな顔で首を横に振りました。許されんと顔を見つめても、ご主人は相変わらず綺麗な顔で軽く顎を上げ、片方の頬をぴくりと動かし笑うだけ。観念して肌着を落とすと、締め付けた紐の跡がそこかしこに残る私の肌が主人の目の前晒されます。私の首に赤い首輪を掛けながら、ご主人はぞっとするほど甘くて優しい顔で仰います。

「可愛いね」「綺麗だよ」「大好きだ」。

手櫛で髪を触り、眼窩をなぞり、頬を押していたご主人の手に猫のように擦り寄ります。ああ、甘やかしてもらえる。幸せだ。とろけそうな心持ちでご主人の手の温度を感じていると、ふっとその手が離れて首にかかりました。

 

……”この子の首を絞めたい”というご主人の欲望が私たちの関係をはじまらせたなら、ご主人の欲望を終わらせ行き着く先は絞殺なのではないか、といつも考えます。

彼の指は気管を絞めるなんて愚かなことはしません。頸動脈に指を食い込ませ、上に向かって持ち上げる。私の顔色が刻々と変化する様を、彼は愉快そうに見ている。じわりじわりと私の意識は白濁していき、限界を見計らってご主人はその手を解き、崩れた私の体を抱きしめます。

その時とても驚いたのです。ああ、聞こえていなかった。首を絞められている間、日常の些末な音が遠のいていたのです。薄靄のかかった音響の中、静かに響くご主人の息と私を呼ぶ声。それだけを頼りに私は自分の意識を手繰り寄せ彼の首に抱きつきました。

 

ご主人の真っ黒な欲望を前に、甘やかしてもらおうと考えるのは意味がないのです。どれだけ媚びようと、どれだけ脅えようと、逃げようとしても、ご主人は絶対に私を逃がしません。いいえ、私もそれを望んでいるのかもしれません。

左の頬を何回も何回も叩かれたとしても、ご主人が私に「動くな」と言えば私は動けないのです。顔を背けて衝撃を躱そうともできない。ただただ、来る殴打に只管耐えるだけの時間。しまいにはあまりの殴打に耐えきれず、私はぼろぼろと泣きながらご主人を見上げる始末でした。一方彼は愉快そうに笑っています。

煙草を召し上がるご主人の足元、私は四つ這いになって彼の足置きになります。その時、鏡面加工の施された家具にぼんやりと映る自分の体を見て、私は崩された自分を、少しだけ美しいと思いました。

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――正直にいうと、ひどいことをされた時の方が私は輝いているような気がします。「泣いている顔も、気を遣っている時の顔も非常に良い」とご主人はおっしゃいますが、私がご主人とのセックスを思い出す時いつも刻まれているのは痛みや恐怖、そしてその中で綺麗に冷たく笑い続けるご主人の美しいおかんばせのみなのです。

痛みを伴う調教の時間のあと、体のあらゆる性感帯を嬲られている間も、私の理性は恐怖と快感の間を揺れ動いています。どれだけ喚こうが絶対に終わらない異常なほどの快感は、時に恐怖より深く精神に作用し私は追い詰められてまた泣きます。

私はご主人の指が、舌が、視線が、怖いのです。痛みとの落差が大きければ大きいほど、ぐちゃぐちゃに壊された自己がご主人の望むように作りかえられていくのがわかるのです。もうきっと、私の体のどの部分も、ご主人以外では恐ろしい違和感を覚えるに違いない。そう思うと、恍惚といたします。壊されて作り直されて、永遠に隣に置いてもらえるという歪んだ喜び。

 

そんなセックスばかりしていたら、多分私はもう他の人との情事で快感にありつくことなどできないのでしょう。でもそれでいいのです、

 

私はあなたに崩されるために生まれてきたんですから。

 

酔狂、三日月、レミーマルタン

 

世は三連休、お月様程度には正確に暦通り動く私たちにも例外なく海の日の恩恵はやって参りました。

さて、連休の始まりはKと私、二人で避暑地へ。金曜の夜、仕事からせかせかと二人帰ってきて出かけました。仕事で嫌なことがあってシャワーを出てからぐずりタオルに包まる私を慰め諭し、なんとか出発できたころにはすでに夜。Kの車に乗り込みすっかり機嫌の治った私は助手席で悠々と鼻歌を歌っておりました。

最近は日本のどこもかしこもずいぶん暑くなってまいりましたから、避暑の素晴らしさが身にしみました。

▼某避暑地にて撮影。アナベルが見頃です。庭はすっかり青々として気持ちようございました。

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二日目の午前中は晩酌のアテなどを買い込み、午後にはご主人とドライブへ。少し辺鄙な場所にあるなんとも美しい骨董品屋さんを尋ねました。

美しい義眼や天文の道具、昔の本が立ち並ぶ中二人で目をつけたのは"スプーンリング"というアクセサリーです。スプーンリングはその名の通り、スプーンの絵をぐるりと巻いて指の形に添わせたもの。なんでもかつて貴族の家では、使わなくなった銀食器をこのようにアクセサリーにして持ち運ぶ習慣があったとか。

それもそのはず銀食器は大変高価であり、さらに家族の歴史を長く刻むものですから、先祖の温もりというか血の流れというかおぞましい歴史というか、そんなものを感じるには素晴らしい習慣だったのでしょう。

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購入したリングがこちら。本当にラッキーなことに、番った柄のリングがございました。さらにラッキーなことに、一つはKの、ひとつは私の指にぴったり。ちょっとした記念にと、二人で揃えのものをいただきました。

Kは冷静に「同じメーカーなだけかもね」とおっしゃっていましたが、私はこんな妄想を禁じ得ません。

――Kの指と私の指にあるこのスプーンの柄は、かつて同じお家の、同じテーブルの上、寄り添うように並んでいたのではないかと。そうであったらどんなに良いでしょう。長い長い時を経て、番いの食器は、一組の生き物の絡み合う指の付け根に収ったのです。どれだけ隣に寄り添っても触れることのできなかった二つの銀食器は、ようやく夜毎、生き物たちの指が触れ合うたびにかちかちと音を立てることができるようになった。それはさながら接吻、情事、睦みあい。いやはやなんとも酔狂、酔狂。

……我ながら大した想像力です。いつかそのスプーンが見た歴史を小説に書いてみようかしら。

閑話休題。避暑地での夜は快適で、テラスでお酒を嗜みました。

燻製にした鶏ハム、卵。ローストビーフ、キッシュパイ、サラダ。地ビール、赤ワイン、白ワイン。Kが酷く酔い出したのは、レミーマルタンのLouis XIIIを空けた頃から。本人は大失態と嘆いておりましたが、随分ご機嫌にお酒を飲んでくださったようなので私は大満足です。

 

さて、避暑地から帰ってきたのは日曜の夜。というのも私たちには日曜の夜の愉しみが待っていたのです。

その日は鋭利な三日月でした。少しばかり気温が下がった午後七時、すっきりとしたラフな服装で二人で並んでお出かけです。なんていい連休なのでしょう。だって日曜日、それでも明日はおやすみ。お出かけをして帰って来て厭らしい遊びに興じたとしても、まだ明日はおやすみです。

Kと私は食に偏執いたします。私が料理が趣味なのもあり、中途半端な居酒屋さんへ行く頻度は大変低く、代わりに外食といえばとびきりの贅沢と美食を求めます。まさにグルマンティーズ、悪食の虜です。

連休中美の夜を飾る美食は、もちろんお寿司。棲家からほど近い素敵なお寿司屋さんにお邪魔してまいりました。

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嗚呼、丁寧に作られた和食とはなんと美味しいのでしょう。つまみ、日本酒、お寿司、全てが本当に美味しゅうございました。ごちそうさまでした。

流石の高級寿司店、お店には稼いでいそうな男性とお美しい女性がちらほら。良くも悪くも見た目が普通に近い我々はどのように見えていたのでしょうか。「随分若いカップルが来た」と思われたでしょうか。それとも兄妹のように見えたでしょうか。私は随分傲慢なので、そのうち夫婦に見えるように成長していければ良いなあと、美味しいお魚を噛み締めながら思ったものです。

 

もちろん私と"ご主人"のことですから、何時ものお遊びもぽつぽつと。愉快そうに乗馬鞭を振るう彼、泣いて嫌がりそれでも逃げられない私。追い詰められて震える体と、輪郭を確かめるように撫でて行く彼の暖かい手。

何度も何度も尾骶骨を指で叩き、ご主人は静かすぎるほどの声でいうのです。「もっと壊れなさい」。その度に頭が壊れて行くのを感じます。気持ちいい、苦しい、怖い、大好き、体が軽くなって、ご主人の声が遠くに聞こえる、ああ、こ の ま ま 殺 さ れ て も 構 わ な い 。

ふわりと頭が暗くなって、次の瞬間頬に鋭い痛みが走りました。見っとも無い声を上げて痛みから逃げ目を白黒させる私を見て、さっきまで恐ろしいほど静かだったご主人は狂ったように笑います。

私はいつも、彼が何をそんなに笑うのか、面白いのか楽しのか、少しも理解できません。その時私はいつも怯えて追い詰められていますから、その尊く恐ろしい笑い声だけが鼓膜を刺激し軽微な悦びを脳まで届けるのみなのです。泣きながら「なにがそんなにおかしいの」と問う私に、彼は何も答えません。ただ素直に私が差し伸べた手に引き倒され、ふと表情を緩めて私の額に手を添えます。

そうして私は気づくのです、私たちの間に理解など必要ないのだと。理解し合い尊重しあい、そういうのは避暑と指輪とお寿司ですれば良い。今この瞬間、互いを理解し気遣いあう必要など、微塵もないと。

 

純然たる興奮、純然たる快楽、純然たる恐怖、純然たる愛着、純然たる所有、純然たる、純然たる――それだけが私たちを、私たちの裏側を強烈に結びつけている。その喜びといえば筆舌に尽くし難いものがございます。

 

 

表も裏も愉しみ尽くした連休があけました。私もご主人も、また素知らぬ顔をして日常生活に戻ります。私はただ、彼が会社でコンピュータのキーボードをかつかつと叩く時、握った車のハンドルを気分の赴くままに指で撫でる時、私の尾骶骨や腰の肉の感触を秘めやかに思い出し口角を少しだけ上げてくださったら良いな、と思います。

 

デパートメントH 07.07.2018

本日はデパートメントHの感想と、我々の日常を細々と。

 

5月振り、2ヶ月空いてひさびさにデパートメントHへ出向きました。七夕ということもあってか、普段は少ない浴衣や和装の方も多く随分華やかな様相でございました。

前回行ったゴム祭りの時よりは人出は少なかったものの、相変わらず随分な盛況。ご主人も私はのんびりと楽しませていただきました。

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さて、今回私はご主人の選んでくださったフェイスレースで参加。これが思った以上に可愛らしく気に入ってしまいました。もちろんご主人ともお揃い。私は白、ご主人は黒でした。

じつはこれ、結構ご主人のお気に召したようで悦に入っておりました。なんというか、最後まで黒と白で悩んでいたのですが、白の清廉な印象が返って妖しくいやらしく。ご主人の性癖に”刺さった”らしく私は満足でございます。

 

ああ、下のダンスホールにおりて、ご主人と私は向かい合いました。私の首輪を引き上げる彼の背後から、舞台を彩る鮮やかな光が。それに透かされたご主人の笑みの狂気、その美しさ!

……うっとりとしていたら何人かの方に声をかけていただけて光栄でした。もし会場でご主人と私を見かけたよ、という方、写真撮ったよ、という方がお出ででしたらお声がけくださいね。とても喜びます。

Twitterで平素より交流させていただいている方々とも直接お話しできて幸いでした。そのほか、シーシャブースのお姉さん、声をかけてくださった皆様、ありがとうございます。皆様の夜を私とご主人が少しでも彩れたのであれば幸いです。

目標は「いつもデパチであっちゃうお友達をたくさん作ること」です。来月も例のフェイスマスクと赤い首輪はしている予定ですので、見かけたらぜひ仲良くしてくださいませ。

*苦言ですので小さな声で。ああいう場で様々な格好や振る舞いをしているのが許されるのは事実ですが、それが適応されるのは"人に迷惑をかけないこと"が前提です。許可をせずに人のものに触れたり、体に触れたり、頭を撫でたり、そういう行為は大変卑劣です。ましてや私は私のご主人のもの。ご主人さえ許可を出せば私の体や頭や顔に触れることに対しなんの不満もありませんが、突然触りにくるというのはマナー違反ですからやめましょうね。次回から厳正に対処いたします。

 

 

さて気を取り直して。たまにはご主人と私がどんな変化を遂げたのかというお話でも。

ご主人も私も基本的には、平日昼間は一般人を装い生活しております。

朝私が30分ほど早く起きてお弁当を作り、ぐずる彼を起こし、歯を磨きながら携帯を触る彼を眺めつつ化粧をし髪を巻き、最寄り駅まで彼の車で送ってもらう。私の方がおおよそ一足早く帰宅し、シャワーを浴び夜ご飯を作って帰りを待って、余裕があるときは二人でぎゃあぎゃあと騒ぎながらゲームをしてハイボールやビールをくいくいと飲む――こう見るとごく普通のカップルに他なりません。

そのとおり、私たちはとてもとても『普通』なのです。普通であるからこそ、デパートメントHに出向くことや縄を習うことがとても特別に感じられます。当たり前の生活を当たり前にこなす側面があればこそ、私たちの関係は成立しているのかもしれません。

 

近頃のご主人のお気に入りは美しい乗馬鞭です。出会って最初の頃はとにかく首を締めることがお好きで、ひたすら首に手をかけ締め上げるのを続けていらしたような気がします。最近はお遊びも多岐に渡るようになってきました。

私の醜く見っとも無い泣き顔をご覧になりたいのだとか。さすがご主人壊れていらっしゃる。

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私はもともと、大きい音も男性の怒鳴り声も苦手ですし、無論叩かれることに快感を覚えるたちではありません。以前のブログでもご紹介したように、私とご主人は一度セーフワードを叫ばざるを得ないほどやらかしておりますので慎重になっていた節はありますが、最近は何か”向こう側”のものが見えてきたのか、痛みも苦しみもすっかり愉快でございます。

 

もともと別のところで生まれ育った二人が一緒に暮らすようになったように、苦手だった打撃が好きになったように、何かと私たちの関係は変化していきます。今回のデパートメントHにはそれがくっきりと出ていたかなあ、と一人で考えておりました。

初めてデパートメントHにお邪魔したとき、私もご主人も比較的"普通"な格好をして伺いました。それもそのはず、二人ともあくまでも普通の暮らしをそれまで続けていたのです。私たちは異形の生き物たちの世界にお邪魔した人間のような有様でした。

それがどうでしょう、今回のデパートメントHで私とご主人は随分馴染んでいたような気すらいたします。シーシャブースのお姉さんなどはご主人を見て「だんだんヤバくなってきた!」と笑っていらっしゃったほど。私たちは普段の普通の私たちと、とことん溺れ楽しむ私たち、両方の愉しみを確立してこれたようでございます。

 

これからもこういう変化を彼とともに送っていければ良いなあと、折につけて願うばかりでございます。

ヒポクリトの幸福論

人は誰だって幸せになりたい、という前提で世の中は動いています。幸せになるための節約術。占い。片付けの方法。お金のやりくり。生きとし生けるもの全て自分の幸せの方に歩みを進める――なんとも滑稽です。本気で幸せになることが幸せなのか、誰もわからないのに。

穏やかな土曜の午後、草木の香りが鼻をくすぐり初夏の匂いを楽しみながら、私は芝生にしいたビニールシートの上で、煙草を吸いにいった彼を待っていました。前の日の晩から用意したちょっと豪華なサンドイッチを食べて、ビールを飲んで、ああ、この上のない幸せ。空は晴れていて、気候は暖かく、風は爽やかで、日差しは強すぎず、子供達のはしゃぐ声が聞こえます。幸せそのもの。その幸せに包まれたまま、私は唐突に不安に襲われました。

ふと思いました。今、私は携帯電話だけを持ってどこかに走って逃げてしまおうかと。私はもしかしたら、自分で作った完璧な幸せを自分の手で終わらせなければ満足できないのかもしれないのです。完成したものを誰にも触れられないように守り、壊れてしまうならその前に壊してしまいたい。永遠にこの瞬間を閉じ込めてしまいたい、それができないのなら。

……そんなことを考えていたら煙草を吸い終わった彼が帰ってきました。私はまた、黄金色の午後の穏やかな空気の中に引き戻されて深く息を吐きます。まだ続けよう。もう少しだけ。まだあと少しなら幸せになってもいいかもしれない――私は幸せが恐ろしいのです。黒い、ぬたぬたとした影のようなものに足を取られかけていた私の肩に彼の手がそっと触れました。彼はお日様みたいな顔で笑います。「ただいま」「おかえり」。

 

"自分がどこまで壊れられるか見てみたい"、という欲望は人間であれば多かれ少なかれ持っているものです。もともと私は破滅的な性分で、しょっちゅう自分を壊そうとしていました。叩いて壊して、まだ大丈夫、まだ大丈夫と確認し続けること。それが不特定多数とのセックスに現れる人もいれば、私のように自分を可能な限り不幸に追いやって安心する人も居ます。

ただ、ある程度その破壊行為に慣れてしまうと、今度は自分が壊れていないと安心できなくなってしまうのです。コンフォートゾーンが不幸で固定されてしまう。そうすると、幸福の方に這い上がるのはとてもとても難しくなります。

 

久々に昔話です。

私がKに対してはじめの頃抱いていたのは、圧倒的な高揚と興味でした。恋愛感情というよりは、どちらかというと所有の欲求。Kが何かを直感的に感じ取ったのと似たような嗅覚で、私は思ったのです。多分この男は、私の虜になって満足させてくれるだろうと。

一部のサディストの男性は、なんといいますか、変に鬱屈したナルシズムをお持ちです。私の当たりが悪かったのか、それとも帰納的に全体がそうだと言えるのかはわかりませんが、サディストの男性のそういうところが苦手でした。なんというか、彼らの鬱屈とした面が垣間見えてしまうと、なんとなく気まずくなってしまうのです。アイドルがステージ裏でパニック発作を起こしてしまっているのを見るような気持ちになります。見てはいけないものを見てしまったような、もっというなら「見たくなかったものを見せつけられているような」気持ちです。

しかしKにはそういう鬱屈としたところが全く見えませんでした。至極、真っ直ぐに生きてきたその空気感。私にはないものでした。――後にいろいろ知っていくと、彼もそれなりに問題を抱えていて歪んだ価値観が根付いているのがわかるのですが……それを知って余りあるほど、彼の屈託のなさは私の興味を引きました。

逆にいえば、彼を恋い慕う感情は最初ほとんど発露しませんでした。興味、高揚、所有欲、狩をする人の気持ち。殆どそれは、「自分がどこまで壊れられるのか」という好奇心に近かったのだと思います。私は自分を破壊してくれる人を待っていたのです。それがいかにして変わっていったのか。あんなにも恐ろしいと思う幸せのために壊れた自分を再構築していくことを選んだのか、正直にいうと、自分でもよくわからないのです。

 

ただ、深く深く印象に残っている夜があります。まだ桜の咲いていた頃です。ふと思い立って私たちは家から少し離れた公園に夜桜でも見に行こうと決めました。まだ薄寒い日でした。

駅前のスーパーでビールと唐揚げを買って、私たちは山の頂上の桜の見える場所を目指し、暗がりの山道を登って行きました。息が切れ、もうやだかえろうくらいくらいと言いながらも歩いて登り、ようやくたどり着いた山頂では夜桜が咲き月がよく見え、一体死体でも埋まっているんじゃないかと思うほどの景色を私たち一人、いえ、二人占め、でした。

私たちは唐揚げをつまみビールを片手にいろいろなことを話しました。

「桜にお酒、花見で一杯」「なにそれ」「花札の目。桜とお酒で"花見で一杯"、月とお酒で"月見で一杯"」「へえ」「今夜は桜も月も見えるから"花月見"!」

「俺はあんな大人にはならない」「私は大人になんてなれないかもしれない」「なれる、なれるよ。ゆっくりでいい」

「お父さんをね、愛してるの」「うん」「絶対的な承認が欲しかった」「それはね、無理なんだよ」

身のあるような、ないような話をのらりくらりと。Kは、私が深く関わってきた誰とも違いました。大好きだった恋人でもない。好意を寄せてくれていた作家先生でもない。ましてやただの好青年でもない。

でもふと気がついたのです。ああ随分長い間私は異常な状況にいたものだ。煮詰まってドロドロになった愛を、マグカップに一匙入れてお湯で薄めて飲むような。でも私はきっと、こういうふつうの幸せ――まさに桜と月を見ながらビールを飲んでどうでもいいことを話すというような――が欲しかったんだと。

彼の話を聞いているうちに私は泣きそうになってしまいました。一体なにが彼をこんなに大人にしたんだろう。一体なにが彼をこんなに追い詰めるのだろう。甘えたことがないのなら、甘えることが下手くそならば、私が彼を溺愛したいと。彼を愛することで救われたいと。思ったのです。

Kの人生における"女"の役割全てを私が負いたい。彼を幸せにした時、私は幸せになれるのではないか。なぜかそう思いました。それはとても、かなしく、あたたかく、いたいほどうつくしい感情でした。それを偽善だというなら私はそれでも構わないと。泣きそうになりながら私は思ったのです。

山を降りていく途中の道はすっかり真っ暗で、誰も通らずあかり一つなく。夢気分で降りていく私をおいてKはすたすたと下山して行きました。途中で彼は立ち止まって、振り返り私を待ちました。暗がりの中で一度だけキスをして、私たちは大人しく家に帰りました。

こういう、当たり前の、ふつうの、幸せなことがしてみたかった。でも、やはりそれを怖がる気持ちはどうしてもどうしても私の頭にこびりつき、その腐臭はアラビアの香料を撒き散らしてもとれないような強烈なものでした。

 

何かが切り替わったのは多分私だけではなく、彼もだったのだと思います。それまでの彼はどこか何かを遠慮していて、私の加減を伺いながらあらゆる事をこなしていました。

花見から帰って、Kは私の首に手をかけました。滅多に気管は絞らずに、真綿で首を絞めるように頸動脈を潰す指と指。その時私は彼に苦しめられることでバランスを保つのかもしれない、と思いました。そうして組み敷かれたまま掠れた声で言ったのです。

 

「もっと興奮できるでしょ」

 

そこからぷっつりと記憶が途切れています。覚えているのは腹の底から溢れる笑いを嚙み潰しそれでも嗚咽そっくりの引きつった声が抑えきれないKの姿です。彼の端正な顔は支配の興奮に歪んで、こめかみや目の下が痙攣していました。

多分その時、Kのなにかも上手に壊れてくれたのだと思います。私は私を壊させて、彼の心を縛ることができるとその時確信しました。

ああ私の幸福、私の不幸。私の理性、私の狂気。私の光、私の影、私の神様、私の悪魔。全ての表と全ての裏を、私は吐き出すように彼に見せました。

 

 

今でもふと、特に冒頭に書いたような、絵にすらなりそうな穏やかで幸せな午後に、私は突然逃げ出したくなります。でも私は、自分の偽善的な思いをとても尊いと思います。そう簡単に手離すつもりはないのです。

それを手放す時は、きっと私が元いたところに帰る時。黒い渦の中に戻りたいのか?――その質問に私は答えられません。ただ、もしも彼がその澱の中に浸ろうといって私の手を引くのなら、躊躇わずに入っていくでしょう。

 

所詮偽善者、性善説性悪説もそこにはなく、ただ信じる男の後に続いて幸福論を唱えるだけ。そんな人生もなかなか幸せかと。

 

犬に矜恃

再三申しております通り、残念ながら私は大変生きにくい顔面をしておりまして、美人でもなければ可愛くもなく、笑顔が素敵なタイプでもなく、簡単に言えばただの卑屈な不細工です。それでもなんだか13歳だか、14歳の頃だかからお付き合いする方には困らず、概ね「あの女ブスの癖に男にだらしない」と陰口を叩かれるタイプでした。

可愛くないのにモテてる子、が居るのは世の常。かつ、可愛いのにモテない子、も居るのは暗黙の了解。私は自分がポピュラーだと思ったことは一度もありませんが、それでもそれなりに惚れた腫れたに巻き込まれた経験はございます。何故か変な方やズレた方に好かれがちで、ナンパもキャッチも殆どされませんが「一目惚れしました」と真剣に突然迫られることが複数回ありましたので、何か私からは特定の人間しか受け取れない特殊な光線でも出て居るのではないかと睨んでおります。

さて、昨今少し面白いことがありましたので、記録として。

 

私が"先生"と初めて会ったのは年の暮れ、当時の恋人との関係はその頃殆ど破綻していて、半ばやけくそで打ち込んでいた仕事の関係でお会いしたのがその人でした。

先生は書き物を生業とされて居る方でした。舞台、映画、ドラマの脚本演出を手掛ける他、バンドをされてみたり自分も演技をされてみたり、大学で教鞭をとられたり。彼は兎に角多才で社会的にも成功された方であるとは何となく伺っていたので、初めてお会いするときは大変緊張したのを覚えております。

第一印象は、「なんだか女に好かれそうな人」といった感じ。眠そうな目に高い鷲鼻がついたおかんばせは大変端正で、背も高く紳士的、かつどこか危なく不幸な香りもする。丸眼鏡と、お洒落なスーツがやけに似合う、少し崩れた感じのする不思議な方でした。

先生はどこか私を気に入ってくださり、脚本の相談をされたりよく遊びに連れ出してくださるようになりました。私達はさながら、室生犀星蜜のあわれ」の"おじさま"と"金魚の赤子"のようでした。恋愛関係はなく、肉体関係もなく、互いに惹かれるものがあるのを認めながら、押してみたり引いてみたり。

「君みたいに頭のいい女を飼いたいね」「あたしみたいな女は飼育費が嵩みますよ、御宅のワンちゃんが嫉妬しちゃう」

「先生、捕まるならものすごぉい罪で捕まってくださらなきゃ嫌よ、あたし、先生が万引きなんかで捕まろうものなら、刑務所にシャンプーを差し入れてやらないから」「この年の男が万引きってのはダサいなあ。どうせなら国家転覆罪とかで捕まりたいもんだね」「あはは」

「肉を食べるいい男、って、なんともいやらしいと思うの。ポルノだわ」「馬鹿言うなよ君、肉は人間の主食だ」

「俺は結婚には向いてなかった」「あら、そう」「あれはただの束縛だよ。結婚してる時は書くもの書くものつまらなかったね」「ふうん。結婚で幸せになろうとしてるから間違えるんじゃないの?」

「君は普段どんな本を読むの」「太宰、谷崎、永井荷風森茉莉吉屋信子中原中也、あとは」「現代作家だよ」「桜庭一樹小川洋子」「俺の本は?」「読んだこと、なーい」「読みたまえ」

「抱きたい」「馬鹿おっしゃい、こんな小娘相手にしてないでしょ」「本気だって」「あら、もう10時だわ……」

 

私と先生は少しずつ距離を置いていきました。お互いの面白さは認めていながら、堕ちるところまで堕ちることはなかったのです。

多分私は、あるいは私たちは本能的に察知していたんでしょう、お互いがお互いの人生に必要不可欠な存在にはなり得ないことを。多分、お互いがいなくてもいきていけると。

そんなこんな、先生と距離が開いている間に私はKと出会い、彼に体を預けるようになっていきました。

 

先日は先生のお誕生日でした。最近脚本をお書きになったドラマを拝見し、その感想すら申し上げていなかったので誕生日にかこつけて私は先生にご連絡を差し上げました。

どうでも良い話を少々、今恋人がいて一緒に暮らしていて、その人は同時に私にとっての飼い主でもあるとと告げると先生は一言仰いました。

「ああ、放置した自分が悪い」

私はおかしくてたまりませんでした。先生はいつもそうやって私で遊ぼうとなさるのです。冷静に考えて、先生は社会的に成功された方。私はただのうら若い生意気な小娘。一体そこになんの感情が生まれましょうか。先生は続けました。

「口説くのがとてもとても、難しかったんです」

口説き方がわからなかった」

「あなたに彼氏がいるようなのでまた創作意欲が湧く。孤独じゃなきゃ書けないからね」

「君みたいな女をね、ファムファタールって言うんだよ、全く天性だね」

私はゾクゾクいたしました。好意を寄せられていたことに、ではありません。そのことによって、自分の"犬"としての価値が高まることに、子宮がぐずぐずと震えました。

 

血統書付の犬を好む人がいるように、野良犬を好む人もいて、捨て犬を愛する人もいれば仔犬を家族と迎え入れる人もいる。時々、ご主人は誰に興奮するのかしらと思案します。簡単に言えば、どれでもないのです。

眉目秀麗で賢く一見して欠点のないKがなぜパートナーを今まで見つけられなかったのかと言うとそれはおそらく、Kが求める"犬"たるものがあまりに複雑だったからです。

彼は、「誰もが欲しがる価値を持つくせにボロボロになって捨てられている犬」を溺愛したいのです。栄養失調で毛が抜け片目も開かない犬を可愛がり躾け、ふくふくと幸せそうに元の容姿を取り戻して自分に尻尾を振るのを見たいのかもしれません――こればかりはKにしかわからないことだと思いますけれど。可哀想なものを愛したいと言う気持ち。価値を見出したいと言う歪んだ正義感。残念ながらそんな犬はなかなか落ちていなかったようです。血統書付の捨て犬なんて見たことございませんものね。

私は私をずっとただの捨て犬だと思っていました。だからだと思います、私は先生との連絡の内容を詳らかにKに教えました。彼は支配者の顔をして笑い告げました。

「先生様に言ってやったら良い、"貴方が好きだった女はね、今は別の男の犬なのよ"って」

ああ、私を所有したことで優越感を感じてくださるなんて。私のざわつきの元はこれだったのだと思います。所有される喜び。それこそKの求めるものだという自負と、陶酔。可愛くもない、美しくもない、別段特技があるわけでもないと卑屈になるのはそろそろやめにしなくてはいけないのかもしれません。